DBS体験談
あの時手術をしていなかったら今の私はなかったので、皆さんにも早く手術による治療のことを知っていただきたいと思います。

  • 小林さん/73歳/男性/茨城県
  • 発症時年齢 62歳
  • DBS手術時年齢 72歳

自分がパーキンソン病だと聞いた瞬間、頭がぐらつきました。

私は現在73歳です。

60歳の頃、鈑金工の職人として働いていました。ある日、いつものようにステンレスの溶接をしていると、ほんの少し手がふるえ出し、真っ直ぐに溶接ができなくなりました。変だな、おかしいなと思いながら仕事を続けていました。しばらくすると、今度は腰が痛くて重いものが持ち上げられなくなったため、掛かりつけの医師に診ていただいたところ、腰の椎間板ヘルニアと診断されました。しかし、いつまでたっても良くならないため病院を転々として、最後に自治医科大学の神経内科で診察をしていただいたところ、パーキンソン病と診断されました。初めて聞く病名でした。この病気は進行性であり、今のところ治す薬がないと聞いた瞬間、一瞬頭がぐらついたことを今でも覚えています。

当時、ジスキネジアや歩行に散々苦労をしていました。

初めのうちは、薬は1日3錠、1種類だけでしたが、体が思うように動かなくなるにつれ薬も少しずつ増えていき、発病から7~8年経つ頃には薬は5種類ほどになっていました。

DBSに興味を持ったきっかけは、茨城県の「パーキンソン病友の会」の地区交流会でした。そこで2名の方が「手術をしてよかった」とおっしゃっているのを聞いて、当時ジスキネジアや歩行に散々苦労していた私も何とかならないものかと、興味を持ったのです。

DBS手術は頭に穴をあける手術だと兄に相談したところ、初めは反対されました。しかし、やはり何とかしたい!と思い、すぐに担当の先生に相談しました。iPS細胞移植についても可能性がないものかと聞いてみましたが、iPS細胞移植はまだまだ先の話なので、今、手術による治療を行うならDBS、とのことでした。そこで、大学病院の脳神経外科の先生をご紹介いただいたのです。脳神経外科の先生はとても気さくで、手術の時も和やかなムードで私の緊張をほぐしてくださったのを覚えています。

あの時手術を決断していなければ、今の私はなかったと思います

電極を植込む手術は局部麻酔だったので、手術中に今何を行っているか、何を話しているのかがよくわかります。頭にドリルでゴリゴリと穴をあけるときは嫌な音がしました。その1週間後、胸に刺激装置を植込む手術をしましたが、こちらは全身麻酔で行われ、眼が覚めたら終わっていました。その後は回復が早く、7日位で退院したため、他の先生や看護師さんが驚いていました。

術後の経過もよく、おかげさまで今ではジスキネジアはほとんど起こらず、以前のように倒れたりすることもなく、体を動かすのも楽になりました。現代医学の進歩は、私の想像以上でした。ただ、自分ではパーキンソンになる以前の元気な体には程遠く、パーキンソン病の進行を自覚しなければならないと思っています。

現在は薬を飲みながら、週2回リハビリとマッサージを行い、趣味の囲碁や将棋、パソコンゲームなどをして充実した日々を送っています。今でも家族と話すのですが、あの時手術をしていなかったら今の私はなかったので、皆さんにも早く手術のことを知っていただきたいと思います。

(2016年4月)

主治医のコメント

パーキンソン病を発症されたのが2004年で、患者さん61歳のときでした。当時自治医大の私の外来を受診され、パーキンソン病と診断。運転するため、カベルゴリンで治療開始しました。その後L-dopa・DCI製剤を追加。2010年にはwearing-off、さらに舟を漕ぐようなジスキネジアが出現。2013年には日常生活に介助が必要になりました。L-dopa・DCI、エンタカポン、セレギリン、カベルゴリン、アマンタジン、ドロキシドパ、イストラデフィリンを使ってもオフですくみ足や転倒が頻発し、夜間数回のトイレ介助が大変でした。発症後10年ですが年齢は71歳。安全に手術を受けるタイムリミットが近づいていました。そこで患者さんにDBSを紹介しました。
術後、薬はL-dopa・DCI(量も減少)とロチゴチンのパッチに減りました。杖なしで歩けるようになり、転倒も無くなりました。奥様も夜間のトイレ介助が無くなりほっとされています。

監修:藤本健一 先生(自治医大ステーション・ブレインクリニック)

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