平成16年8月、当時私は地元の役場に勤務していました。家は農家でしたので、ビニールハウスでスイートピーを栽培していました。ある日ハウスの中で花の世話をしている時、右足があまり上がらず足先に「わらすべ」(稲のわら)をよく引っかけているのに気が付きました。足が十分上がっていないのだ、ひょっとして脳に異常が生じているのかもしれないと思い、近隣の総合病院の脳神経外科を受診しました。
その後、院長からMRI検査の結果を知らされ、MRIでは脳に異常はみられないが症状としてパーキンソン病の可能性があると告知を受けました。過去に職場で保健衛生も担当していたことから、パーキンソン病という病気について少し知識があったので、院長からの告知はとてもショックでした。
この病院には平成19年9月までお世話になりましたが、その間薬物治療は行わず経過観察を続けてきました。これは院長先生が、私がまだ若いのでできるだけ薬の服用は遅らせたほうが良いと判断したためでした。しかし、月日が経つにつれ徐々に行動に制約がかかっていき、手足の震えも現れてくるようになり、そろそろ限界かと思う日々が続きました。このような中、「これから自分の身体がどの様になっていくのだろうか」と思うと不安でたまらなくなり、大きなストレスとなりました。この間、胃潰瘍に3年連続なり、体重も54キロまで落ちてしまいました。
そんな時、和歌山市内でパーキンソン病の研修会が催され、近隣の大学病院の神経内科医のお話がありました。聞けばその先生は県内の病院に非常勤で大学病院より派遣されているとのことでした。主治医に紹介状をもらい、この先生の診察を派遣先の病院で受けることになり、そこで初めて薬物治療を開始することになったのです。
私は60歳の定年を2歳早く退職しました。平成17年の暮れ、自分の身体にまだ余裕があるうちに職を辞するほうが職場にも、そして町民の皆様に対してもご迷惑をお掛けすることにならないのではとの思いで辞表を提出、翌年3月末を以て退職しました。以来、家業の農作業をしながら治療に専念しています。
薬物治療を開始した後、主治医が他の先生に変わりました。この新しい先生から、「パーキンソン病は今の医療技術では完治しないが、症状の緩和と同時に投薬を減らすことができる手立てがある」と話があり、そこで初めて「脳深部刺激療法」なる治療法があることを知りました。詳しくは大学病院の脳神経外科の医師に紹介状を書くからと言ってくださいました。当時、病状は安定しているものの、少しずつではありますが進行しているようにも思え、このままではいずれ薬の量も服用する回数も増えてしまうだろうと思い、脳神経外科の先生のお話しを伺う事にしました。
頭にメスを入れ、脳内部に電極を植え込む手術と聞いて、術後にどのような状態になるのか内心不安のほうが大きかったです。しかしこのままだと病状は進行し、いずれ日常生活に支障が生じ、自力では生活ができない日が来て家族にも負担をかけてしまうことを考えると、今が私にとって最も良い機会だと思い、先生にすべてをお任せすることの決断をしたのです。先生との面談後すぐに手術を決断しました。あまり余計なことを考える時間を持たない方が手術に臨みやすいと思い、手術日をその場で決めて頂きました。もちろん、手術により症状がコントロールでき、選択の幅が広がる事、今よりも身体への負担が減り将来家族への負担が軽減できるなどの期待も大きかったのですが、やはり、脳内を治療するという想像もできない治療法に不安はありました。
手術日より1週間前から入院しCT・MRI・心電図・エコー検査・記憶力検査・認知検査など色々な検査を行っていくうちに、徐々に期待で気持ちが前向きになっていきました。
そして、とうとう手術の日がやってまいりました。8時に病室を出て、まず頭を固定するための器具の取り付けが行われ、それからCTを撮る為、家族とはここで別れました。手術は9時ごろから始まり、脳の内部への電極植え込み完了までは局部麻酔で手術が行われたため、手術中はその様子がすべて耳に入ってきます。頭頂部2か所にドリルで穴をあける音、その穴の入り口を広げているであろう音、座標を測っていく会話などが聞こえました。術中に、手の痺れの感知や、蛍光灯の点滅などが見えるなど、その時々の自分の様子を先生に伝え、先生が電極の挿入部位を調整しながら決定していく様子などがよくわかりました。
どのくらい時間がたったのか覚えていませんが、先生から「頭の手術は終わりました、これから全身麻酔でリード線と胸元の刺激装置を植え込む手術にとりかかります。」と言われ、眠りについてしまいました。
眠りから覚めたら夜の7時か8時頃で、自室のベッドの上でした。先生から「よう頑張ったね、手術はうまくいきましたよ。」と聞き、安堵の気持ちと、これで症状の緩和が期待できるのだといった思いが込み上げてきました。
術後、刺激の副作用で声が出にくくなりましたが、先生の判断で刺激の設定を自分で変更できる様にしていただき改善しました。DBSはすくみ足にはあまり効果が無いようですが、試しに自分で刺激をOFFにするとかなり体が動きづらくなるのを感じますので、DBSを受けていなければこのようには動けないのだ、と実感しています。
思い切って手術を選んだことで、今まで抱えていた大きな不安が減少し、日々の生活での気持ちの持ち方が大きく変わりました。趣味の庭の手入れ、菊作り、そして家業の農作業が身体の動きに合わせて行えるようになりました。また、暇を見つけては家内と近場の温泉巡りやお寺参りにと出掛ける機会も多くなりました。このように活動できるのも、あの時手術をして頂いたおかげだと感謝しています。これからも家内と一緒に、無理をしない程度で農作業をしたり、旅行などにでかける機会を多く作っていきたいと思っています。
岡山城後楽園にて
奈良のお寺にて
(2016年10月)
監修:小倉光博先生(和歌山県立医科大学病院 脳神経外科)
主治医のコメント
M.N.さんは、神経内科医からの紹介でDBSの治療を目的に受診されました。投薬治療開始後5年程度であり、病状もそれほど進行したものではありませんでしたので、私のほうが『もう少し様子を見たらどうかな』、と思ったほどでした。しかし、農業作業をされており、ウェアリングオフによる無動やジスキネジアがそれほど強いものでなくても仕事に対する影響が大きいとのことで、手術に踏み切りました。DBS手術を受ける時期は患者さんにより様々ですが、日本の統計によると罹病期間は平均10年といったところです。しかし、海外では最近、数年以内の早い時期にDBSを導入すると、その後の経過において効果が高いという報告もありますので、長い目で見ても比較的早期にDBSを行ってよかったと考えています。
M.N.さんは、何事にも積極的に取り組まれる方です。DBSの刺激条件を4種類設定すると、ご自身で患者用プログラマーを自由に操作し、その時の体の状態に応じて適切な刺激条件を選択されています。また、毎月の診察では病状を詳細に報告してくれますので、刺激条件の調整に非常に参考になっています。DBSは手術をして終わりではなく、そこから治療が始まります。DBSのメリットを最大限に発揮するためには医師と患者のコミュニケーションも重要ですので、M.N.さんとは理想的な関係を築けていると思います。