私は今65歳です。49歳でパーキンソン病を発病した当時、山登りが大好きでした。その日も山に登っていました。歩いているときに急に左足の膝の力が抜け滑落してしまいました。何か変だと思い、病院で検査を受けたところ、パーキンソン病と診断されました。
何か得体のしれないものにつかまったような不安とショックでした。進行は早く、左上下肢に振戦が現れ、2000年6月より薬による治療が始まりました。その後の進行は早く、2003年4月には歩行困難、固縮も現れ、その後ジスキネジアが出現しました。ウェアリングオフも頻繁に現れるようになりました。
そのような中、「DBSも視野にいれては」と、主治医に勧められました。その際、主治医は病気への漠然とした不安と、仕事・家族・将来への不安の糸をほぐすように、物静かな語り口で、一つ一つの疑問に答えてくださりました。そして2007年7月に、近隣の大学病院に転院いたしました。その際、
脳深部刺激療法については知りませんでした。大学病院の脳神経外科の医師から、詳しい説明を受けました。当時は薬を飲んでも日内変動の差が大きく、オフの時には急に歩けなくなりその場にしゃがみこんでしまう状態でした。
脳深部刺激療法をすれば、日内変動の波の幅が小さくなり、オン・オフの急激な変化が少なくなることを知りました。その後何回かの説明を受けました。
手術の成功事例はもちろん、効果がでない事例や手術自体のリスクについても質問をしましたが、忙しいにも関わらず、先生は時間をとって丁寧に答えてくださいました。先生が朴訥としたしゃべり方で真摯に答えてくださったことで、先生への信頼が高くなりました。
また当時支援学校で教えていましたが、職員がたや生徒たちは病気で手が震えたり、歩けなかったりすることも理解してくれ、応援してくれました。この子達と一緒に卒業するまでは勤めたいという思いが強かったのも、手術への動機となりました。
今思えば当時は50代と若かったこともあり、「人生先はまだ長い!」との思いから決断できたと思います。常に前向きに生きたいという気持ちと、家族と職場の仲間たちの支えがあったから仕事を続けることができ、また手術の決断することができました。そして2007年にDBS手術を受け、4年後に娘とバージンロードを歩くことができ、夢を叶えることができました。
手術の結果、症状は大きく改善し、手術をしたことに満足しています。病気は進行しているにも関わらず、発病15年目で今の状態が保てているのはDBSのおかげです。もしもDBSをしていなかったら、今頃は寝たきりになっていたことでしょう。
手術前、頭に電極をいれることに不安や抵抗感はありました。実際に手術をしてみて思うことは、最初にフレームをつける際に頭を4か所ネジで締め付けられて痛かったということです。
この他、神経刺激装置の交換手術のことや、その病院の経験症例数が数十例しかないことなど、さまざまな不安がありました。電池交換のため、今までに2回の神経刺激装置の交換手術を経験しました。電池の技術が高まることで、電池の寿命が長くなったり、充電が簡単になったり、機器の大きさが小さくなったりしていくことを望んでいます。
手術後に感じたのは、リハビリテーションがいかに大切であるかということです。病気が進行してからしゃべりにくくなってしまったので、言語療法士からも指導を受けています。話し方に気を付けることで、相手にとって聞き取りやすい話し方ができるようになりました。また、作業療法士、理学療法士から体幹運動や、歩くコツなどを実践的に教えてもらい、うまく歩けるようになりました。若い療法士が懸命に励ましてくれながら行うリハビリには感動しました。
趣味の制作に取り組む。竹島さんが手作りで立てた「たけのこ工房」にて。
あと気を付けることとして、私は物を作るのが好きで電気工具などをよく使うのですが、電気ドリルを胸に近づけて使用すると、DBSに影響を与えることが何度かありました。当時はなぜそうなるかわからなかったので心配しましたが、DBSの装置がドリルと電磁干渉を起こしたためだと原因が分かってからは、工具を胸元から離して使用することで防止できるようになりました。(※1)あとは、DBS装置を入れているとMRIなどの画像診断ができないのが残念です。(※2)
DBSの刺激の調整は3カ月に1回、手術を行った大阪の病院に今でも通って調整してもらっています。薬の調整は地元の病院の神経内科の先生に毎月診ていただいています。私の場合、DBSをした後も薬はあまり減りませんでした。
※1:家庭用機器である電動工具は、モータを神経刺激システムから離して頂ければ、通常、安全にご使用頂けます。
※2:現在では、条件付き全身MRI検査に対応した機器が販売されています。
リハビリ兼趣味のリカンベルト(仰向けに乗る自転車)。ご自宅前で。
以前新聞でパーキンソン病の人が手の震えが原因で痴漢と間違われたというニュースを見たことがあります。このようなことが起こらないよう、パーキンソン病のことを多くの人に理解してもらいたいと思っています。
具体的には、最近入会したパーキンソン病友の会などで、自分の病気について話をしたり、趣味のアマチュア無線の仲間たち(全国で何十万人ものアマチュア無線ファンがいます)にも、無線で病気のことを話したりしていきたいと思っています。
最後に、手術は痛いです(笑)。覚悟して臨んでください。
チャレンジすることは大切なこと。自分で何かをしたいときは、是非チャレンジしてみてください。
(2016年10月)
監修:貴島 晴彦先生(大阪大学医学部附属病院 脳神経外科)
主治医のコメント
竹島さんは、北摂の市民病院にかかられており、その神経内科の主治医の先生から紹介を受けた方です。初診の時から前向きな考え方を持っておられました。入院精査を行い、その症状や年齢から視床下核刺激療法を選択しました。症状はパーキンソン病独特の振戦があり、ウエアリングオフが顕著にあらわれ、オフの時には歩行も困難でした。当初は、渓流釣りの趣味をお持ちで、病棟で毛針を作られていたことをよく覚えています。しかし、オフの時には振戦のため、それもうまくできず落ち込まれていました。脳深部刺激療法を開始してからは、当然ですが、症状は大きく改善し、いろいろな趣味ができるようになりました。しかし、渓流釣りは足元が危ないこともあり、あまりされなくなりました。その後、奥様の退職に伴い、和歌山県の白浜に移住され、ログハウスを作って、自前の窯でピザを焼いたり、アマチュア無線をしたりと多くの趣味を楽しまれています。
その後の経過では、刺激装置の入れ替えや、刺激条件調整のために数回入院されております。一時期、精神症状が出現したこともありますが、それも一段落しています。
今は、和歌山県で投薬による治療を受けられ、当院には数カ月毎に奥様と来院されております。今後も少しでも趣味のある楽しい生活を送っていただけるように協力していきたいと思っています。