DBS体験談
「普通に動けること、自律していることがこんなに素晴らしいなんて」と実感しています。

  • 松山義夫さん/64歳/男性/神奈川県
  • 発症時年齢 44歳
  • DBS手術時年齢 58歳

主治医にDBSのことを聞いて、初めて手術療法があることを知りました。

私は現在64歳で、パーキンソン病の症状が出現したのは44歳の頃でした。当時、足を引きずっている、左手も振れていないと友人から言われ、整形外科や鍼灸院などを転々としました。1年以上経ってやっとパーキンソン病と神経内科で診断されました。

仕事はバスの運転手をしていましたが、発病後数年経ってから、周りに迷惑をかけたくないという理由で退職しました。

病気が進行してくると、寝返りが窮屈になり、立つときもヨタヨタしてしまいトイレに間に合わないといったことも多々ありました。また、外出中に急に動けなくなったり、歯磨き中に急に手が動かなくなり歯磨きをあきらめたりすることはしょっちゅうでした。そのような中、主治医より「薬を長年飲んでいる人で薬の効きが悪くなった人にDBSという手術療法が有効だ」という話を聞きました。それが、DBSを知ったきっかけです。

家族に迷惑をかけたくなかったし、寝たきりになってしまうのが嫌でした。

主治医からDBSを聞いた後、インターネットでDBS手術についていろいろと調べました。最初は、頭蓋骨に穴を開けて脳内に機器を入れて大丈夫かと不安でした。また、手術時にフレームと呼ばれる固定器具を頭につけるのかと思うと怖かったです。それでも手術をすれば、自分のことは自分でできるようになるのではという望みから、手術を受けることを決意しました。それまではトイレに行くときや入浴中など家族の介助が必要でした。また、妻は看護師の仕事をしていましたので、仕事中に緊急の呼び出しをしなければならないこともありました。これ以上、家族に迷惑をかけたくなかったですし、寝たきりになってしまうのが嫌でした。

そして、当時の主治医に紹介してもらった脳神経外科医の診察を受けました。先生には、「年齢的にやるなら今がいい」、「当院ではまだ症例が少ないけれど、よくなるから是非やってみるといい」とおっしゃっていただき、手術を最終決断しました。家族も私の決断に賛同し、協力してくれました。

実際に手術を受けてみて

頭に電極を入れる手術と、胸元に刺激装置を入れる手術を別々の日に行いました。電極を入れる手術では、先生が「手をグーパーグーパーしてください」などと声をかけてきますので、指示に従い動作を行います。その反応を見て、電極を留置する位置を決定していきました。目は開いているはずなのに視界が暗く、不思議な体験でしたが、音楽がながれていて、先生も気さくで怖くはありませんでした。

全ての手術が終わった後、最初はすぐには動けず寝返りも打てない状態で失敗したかもと思いました。1週間ほど経つと介助付きでトイレに行けるようになりましたが、手術をしたら動けるようになると思っていたのでショックだったのを覚えています。その後、入院中にDBSの調整をして、やっと歩けるようになりましたが、体が覚えるまで最初はうまく歩けませんでした。退院後1〜2か月経った頃、やっと「手術してよかった!」と思える状態になりました。オン、オフが無くなり、体が固まってしまうこともなくなり、1人で家に居る時でも来客対応ができるようになりました。看護師さんに動けるようになった姿を見せに行くと、驚きと喜びの表情を見せてくれ、本当に手術をしてよかったと思いました。執刀医の脳神経外科の先生にはとても感謝しています。これから明るい人生を送れるんだとつくづく感慨にふけったものでした。

DBSを受けた後、薬の種類と量が減ったこともよかったことです。以前は「動きたいのに動けない」という歯がゆさを何とかしたいと、いろいろな薬を試していましたが、ボタンをかけるなど細かい動作ができなかったので歯がゆかったです。

手術前は4種類の薬を一日8〜10錠ほど飲んでいましたが、手術後は3種類で計6錠に減りました。DBS手術が終わってすでに6年が経過しましたが、今でも薬の量は増えていませんし、種類も変わらず安定しています。


富山県宇奈月温泉にて(2015年)


瀬戸中央道与島にて(2015年)

これからやってみたいこと、メッセージ

ハーレーに乗ってアメリカを横断するのが夢です。

DBSを受ける前は、「動けない、できない」という先入観があり、挑戦しないことがたくさんありました。今は体が思うように動くので自信となり、「やってみよう」という意欲が湧くようになりました。普通に動けること、自律していることがこんなに素晴らしいなんて、と実感しています。これからも、前向きに生きていこうと思います。

もしもDBSの適応となるのであれば、あなたの先生が手術を勧めてくれるなら、「勇気を持って決断しよう。明るい明日が見えてくる。」ということをお伝えしたいです。何事もやってみなければ道は開けません。恐れずに踏み切って欲しいと思います。

(2016年9月)

主治医のコメント

松山さんを私に紹介くださったのは、ある大きな病院の神経内科部長でした。それまでは他の先生が担当されていたそうですが、ある時その神経内科部長が松山さんを診察する機会があり、一目でDBS手術が良い治療法だろうとお考えになりました。その後、自ら松山さんの主治医となり、当院にご紹介くださいました。

当院では医師だけではなく、リハビリテーションスタッフとともに、評価入院を5日間行います。できる限り公平な術前評価によって手術適応を決定していますが、松山さんは、DBS手術で良くなる可能性が高い患者さんだと確信しました。『何としても良くなって欲しい』、との思いから、DBS手術の提案を一生懸命させていただいたことを昨日のことのように覚えています。

松山さんは見事に回復され、昨年は電池交換の手術も無事に終えたところです。細かな薬剤調整や刺激調整はありますが、今日でも運動症状の悪化はほとんどみられず、ニコニコしながら外来に来てくださるのをいつも楽しみにしています。

確かにこの治療は、DBS手術に習熟した脳神経外科医が行うからこそ最良の結果をもたらすものです。しかし、一方で、「DBS治療がお役に立つだろう」と判断されて我々外科医に紹介くださるのは神経内科の先生方であり、様々な職種のサポートスタッフのおかげでもあります。そしてなにより、松山さんご本人の勇気があり、素晴らしい結果になったのではないかと考えています。

神経内科医、脳神経外科医、そして我々をサポートくださるスタッフは、これからもより一層の連携を強化し、一丸となって、すべてのDBS患者さんを応援していきたいと考えています。

監修:太組一朗 先生(聖マリアンナ医科大学病院 脳神経外科)

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